自動書記(お筆先)

自動書記(お筆先)とは別名、神憑りとも呼ばれ
英語ではオートマティスム(Automatism、Automatic writing)と呼ぶ。これはあたかも、何か別の存在に憑依されて肉体と精神を支配されているかのように、自らの意思とは無関係に動作を行ってしまう現象といわれている。
日本では古くは
出口王仁三郎や岡本天明などが
”日本は戦争に敗れる”
”広島、長崎に新型爆弾が投下されて火の海になる”
”関東大震災”などと予言をしたが
「世間を脅してた邪教」として弾圧される事件へと発展した。
いわゆる大本事件である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6
奇しくも幸か不幸か私にはじめに神託を降ろした神も國常立尊である。
数回に渡りB先生を介して私宛に
降りてきた神託の内容を
審神者の方が読み解いたものを公開する。

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【國常立尊御神託】➀
さて、この者の熱く燃え盛るは冷たき炎。
悲しき苦しきを思うやればどこまでも限りなく、また果てしなく、終わりなき苦しみ心痛むことなりて。
がしかし、人を呪えば穴二つ 己の墓穴とその者の墓穴、自らの手を汚して掘った所で、嬉し楽しくは儚きもの、またその怒りの向こうには何も生まれぬ。

天文に掟があるように、今世にもいつくつかの掟あり、また定めあり。
それを破るもの、見て見ぬ振りする者、今は月夜に照らされたりとも、必ずや闇夜が参ります。
怒り、悲しき、苦し気に任せて事を終えるは楽なりけり。
がしかし、その先に心の安らぎは見えて来ぬ。

海の潮に満ち引きがあるように、月に満ち欠けがあるように、このお方さまの人生、大きな転機と岐路が訪れてはまた消える。

今は静かに、潮の満ち引きを眺め、月夜に照らされ闇夜に身を潜め時を待つが賢者の選択。

武器を持たぬは己のプライド、口を開かぬは言の刃の知恵。
得るものにはさらにと与え、得られぬものは更に失う。

ありがたき、感謝の気持ちを長く得た気になっておっても魂の底からの真の心、喜びを持てぬものは、伸ばしたその手の隙間からスルリと奪われ逃げていく。

まずは己の顔を水鏡に映すとあらば、静かな水面を探すが良い。
水面が揺れては正き捌き行えず。

まずは静かな水面にて己の顔をよく見るが良い。
心ここにあらず・・・心の泣き者、顔のないもの、顔の泣き者、ここには非ず。

笑う門には福来る、御前様を恐れるものはそれを遠ざけるがために嘘を吐く。
嘘に惑わされるは心弱きもの、己の信念、正義のその先に真実ありて。
まだ、時は満ちておらぬ、ゆうに時期を見て龍を放つ時まで今は面を裏返し時を待て。
今止まるは勝者なり。

人を恨み、羨み怒りを抱えたとして、その者の真の辛きや苦しきを全て背負う覚悟なくば、仄暗き水の底に沈みゆくだけのこと。

故に己の顔を見よ、人の苦しみの上でどこまで目をそらさずに、耐えたるは己の心。
明日は我が身と身を引き締め、この戦、采配振るうは己の指先一つ。
見て見ぬ振りは策士なり、言葉交えるもまた戦略、笑い飛ばすは最大の攻撃。

此度の戯言、真の意図を見落としてはならず。

今、共に渡るは縄の橋、火が放たれればすぐに燃えて朽ち果てる。
足場を確かめ、足元を掬われることのなきよう、ここはあえて寝てもさめてもにこにこ笑え、苦しき、悲しき迷いを捨て、苛立ち見せず、声高々に笑うがよろし。
おまえ様の高々と笑う声、それすなわち魔を祓い天岩戸が笑であける。

ウズメノミコト

【國常立尊御神託】②

さて、この者の静かなる水の底に深く沈んだ御霊の奥に幾千もの、人の想いと悲しき苦しき意に宿り我先にと手を伸ばしておるがの、当の本人それを見て見ぬ振りとは戯れの果て悲しき事かな。
この者の瞳の奥にうっすらと青白く映り込む漁火は月の満ち欠けにより、強くも弱くもなるがの、決して燃え尽きる事はなかろうて。

ある者は多くの寺院や神殿を建立し、多くの徳を積み得度させてきたと宣うがさて、そんな事に一体どれほどの功徳があるものかの。
即ち無功徳なる「廓然無聖」なり、森羅万象、古今東西全て見てきたつもりになってもの、よう眼を凝らすとそこにはがらんとした穴があるのみ、有り難そうなものなど何もなかろうて実に不識でございましょう。

御前様と古き時代の縁を持つ武帝がの、今も昔もコレを恨みコレに悲しみここに逢うて逢えぬが悔いても悔やまれぬと申しておるがの、このものの無念が御前様に伝わるかの。
向心とは人の心を読む優しき誠己の事ばかりに心が振り舞わされておってはの、向心一向に育たぬこと。

神霊よ我は悩む事もなく悲しみを持つ事もなく心の底からの喜びすら存ぜぬ、独りで坐する我に不快や恐れが生ずる事もあるまいの。

この言葉の真の意味を御前様に問うのは酷かもしれんがの、苦悩がなければ皆良しとするであろうしかしの、心の中に迷いや苦し気あるからこその己の成長なり、喜びも多くあればあるほど良しとするがの、無常である真理のその根底には喜びがいつまでも続くことはあり得ぬこと。
いつかは、悲しき苦し気と同じとして喜びもまた去っていくもの。
物事には必ず表と裏があっての、陰陽の法則もこれにしかりで片方の水面だけを見て判断するのは危険なこと。

人にはの、それぞれの生き方あるもので、現世とか来世とか人間は無駄な言葉に振り回されがちじゃがの、何が必要かと純粋なその瞳で我に問うなら、今この瞬間を正しく生きることその先の結果を思い悩むことなど不要なこと。
地上の人間は、楽な方へと流れる水を好み、穢れておっても己に都合が良い生き方を選ぶがの、御前様にあってはどうか「義しき目的の存するによりて』この言葉届けたりて忘れぬように心に留めおくが宜。
勝義とはこの世に住む者たちの願いの最高善をとくものにて、姿形に囚われず下端の生き様しかと見んとすればの、「怨憎会苦」今も昔も人の世は苦界にございます。
苦しみを抱いたまま真の楽し気を味わえるものか。
無常なこの世にある眼に見えるもの、手で触れられるものの全てがいずれは朽ち果て消え去るもの。
執着を捨て不変の自己の御霊を、此れより成長させ真の楽し気あり難きを知り得ることが御前様の本来の目的であろう。

御前様が自らを愚かと名乗れば賢者となり。
愚かであるにもかかわらず我は賢者と名乗るものこそ愚者なり。

気を緩めれば慢心し足元が崩れ落ちていくゆえに、いつもこの言葉を心に留め荒ぶる心を制御するがよろし。
そうすれば、良きことも悪きこともこの御前様の心次第行い考え一つでございます。
苦しみは、他者に与えられるものではなく己の心から生み出すもの、苦しみから逃れることなかれ、喜びを決して追うてはならず、苦しみはやがては雪解けの水のごとく澄んだ喜びとなりまたその澄んだ水もいつかは穢れ苦しみとなる。

喜びの時も苦しみの時も智慧を忘れてはならぬこと、お前に恐れるものなどなきことよ。
荒れ狂う海原に投げ出されたものたちに命綱を渡すは真理の常。
その細き命の綱に一体どれほどの御霊がすがろうか・・・慈悲をもって己だけでなく他者をも慈愛の御心にて我を離れよ。
心を鎮めよ、怒りや我欲を抑え己に克ち言霊を誠あるものに。
怒りをなくし、悪を遠ざけ無常を忘れるべからず。
もしも御前様の心がの、邪悪に惹かれ我欲に囚われることがあるのならコレを抑えよ、心に従わず心の主となれ。

近頃の御前様の周りにあってはの、少々人の出入りが激しくての、全く義のない心の中に真心ひとつ見えぬ、黒く深い穴だけの眼を持つ、忠を尽くせぬものが紛れ込んでおっての、其の者達が焚きつけるくだらぬ戯言に決して耳をかしてはならぬぞ。

御前様を焚きつけてペロリと舌を出す狐の手先もおっての・・・その者は偽りの言葉での、縁も持たぬ者の名を語り、御前様に近ずいておるがの、決して智慧を渡してはならぬ、力をかしてはならぬ。
御前様は時として、優しい心も持っておっての、付け込まれぬよう見張りを配す。

白い馬を遣わすがゆえに、幾つか宝を積んで池の麓まで運ばせよ。
龍に水(玉)を持たせ時を待て。
少々時間がかかるがの、西南の方位より迎えが参る依って、筆と扇子と刀を祀り恩を忘るることなく忠義に仕えるがよろし

龍宮の地神屋敷に降りたるは此処を守る古き民の御霊、この地が荒れて水が汚れ外来の生き物も此処で生きておる知らして(警告)おいた事は九頭九尾の龍が守護いたしておるから民の御霊は安らかなり。

天職の備わりた民は、魂が抜けてしまうたの如く今の世の中此の位に落ちたもうて邪神が現れては人の妄想掻き立てる、これら九分獣の御霊なり。
天地開闢の世の初からの約束のときそろそろと来りて、今の静まり在るうちにしかと御霊磨いておらんと東の空より現れし得体の知れぬ光西の谷底へと天の火が降り落ちる。

お前様にあっては1日も早く己の御霊磨きて備えんとすれば、天地の先祖と合一した心で在って、至仁至愛の御霊大きく精神統一し何事にも心配り、凶事が来れど大山の如く不動に構え、心はいつも安静なる構えで在るぞ。

天を相手とするものは凡人とは関わらず争わず目に見えぬが天地天空我の所有と思ふとこあってもの、春夏秋冬昼も夜も闇も光も雨も雷すらも皆我が言霊の自由に成し得る魂であるぞ。
いかなる災いも見て見ぬ振りし幸運向こうても油断せず生死を一つとし世事を神ながらの大道に任せること、義を重んじよ、それすなわち忠義の御心であるぞ。


風水鑑定 鮑義忠と神仙界