道教とは

【日本における道教思想】 
道教とは中国三大宗教(道教・儒教・佛教)のひとつで中国古来より伝わる漢民族の伝統的な民間宗教とされる。 歴史的には紀元前約2510年~2448年頃の中国神話上の軒遠黄帝が蚩尤と戦争をした際に全く歯が立たない黄帝の枕元に九天玄女が現れ道術(符咒術、神佛召喚祈願、堪輿(風水)、内丹術兵法、奇門(奇門遁甲)など)を授けて黄帝は蚩尤を遂に破ったのが始まりだとされる。そして蚩尤を破った黄帝は死後、神となり初代玉皇大帝となった。 黄帝が残した有名な書に『黄帝内經』がある。 他にも【道家】、【神僊】、【天文】、【五行】、【雑占】、【医經】、【經方】、【房中】などの様々な 分野に書を残している。 道教の修行を経た者を法師、あるいは道士と呼び道士は陰陽宅風水を看て風水造作や供養をし先祖供養を行うことで子孫が繁栄するといわれている。
時には道教符咒術(御神符)を書き、山川などに祈祷して神靈、死靈などと交渉をしたりすることもある。


九天玄女


黄帝

【陰陽五行思想】

陰陽五行論とは古代中國神話に登場する伏羲が作り出したもので、この世のすべての事 象はそれだけが単独で存在することはなく、常に陰と陽、天と地、男と女、白と黒、龍と 鳳凰、表と裏、火と水、上と下などの相反する性質のもの同士が刺激し合い支え合う存在 であるという思想である。 この思想は風水、先天八字、易や中國拳法などの武術、さらに漢方、鍼灸などの医療に まで影響を与えている。 陰陽五行説は創生神話にまで遡りますが、宇宙がまだ天地未開の状態を萬物萬象の根源 である無極から盤古の成長とともに天と地に分かれて陰陽(太極)が生まれて、天に四象 (春夏秋冬)、地に五行(木・火・土・金・水の五つの氣)が現出し、そこから八卦(乾・ 兌・離・震・巽・坎・艮・坤)が生まれ、八卦は天、澤、火、雷、風、水、山、地などの 自然を象徴する。

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無極から太極、両儀、四象、八卦が生まれた図

【北斗七星信仰】

北斗七星とは天帝の乗り物で天の星である貪狼、巨門、禄存、 文曲、廉貞、武曲、破軍の7つ と2 つの隠れた左輔、右弼の9つの星のことをいいます。 北斗七星は人々の生死や吉凶禍福を象徴し日本でも奈良県高市明日香村の高松塚の天井や石川 県の寺山古 墳群の横山古墳の天井にも北斗七星の図が描かれたのが発見され ています。また国宝 である聖徳太子の七星剣が四天王寺に所蔵さ れており、他にも聖徳太子の幼少期の守り刀であっ たとつたわる 法隆寺金堂の持国天の手にある七星文銅大刀、正倉院宝物の呉竹 鞘護杖刀にも北斗 七星が描かれており北斗七星が刻まれた剣は護身剣と破敵剣として奉献され天部、武神、護法神 などが持つのは 敵を打ち破り悪鬼羅刹などから護法するためだと信じられている からです。道教 の経典の『太上玄靈北斗本命延生真經』には 「昊天至尊金闕玉皇上帝(玉皇大帝)の御前に尊帝二 星、北斗七 星の靈符に祈れば家は護られ父母は長生きしさまざまな邪を祓い 子孫は栄え悪は消滅 し六畜も平穏に育ち財も減らず不測の災禍に も遭わず…中略…一切の厄を解く」といわれておりま す。 この他にも北斗九星に祈願する護符、住居を護る護符、父母の長 寿を願う護符、改心する護 符、子孫繁栄の護符、あらゆる災禍(三災厄、四殺厄、五行厄、六害厄、七傷厄、八難厄、九星厄、 産生 厄、復連厄、疫病厄、精邪厄、虎狼厄、蠱蛇厄、枷棒厄、横死厄、 呪誓厄、天羅厄、地網厄、 地獄厄、一切厄)などの厄を解く護符など様々な護符が『太上玄靈北斗本命延生真經』には描かれてお ります。北斗九星が神格化したのが九皇大帝といいます。 道教では先祖供養の際に亡くなっ た先祖の亡くなり方によって 異なる護符が存在します。 例えば、首吊り、溺死、獄中死、薬害死、 殺害される、産後すぐ に死ぬ、毒殺、呪詛死、虎や狼などの獣に襲われて死ぬ、蜂に刺 されて死 ぬ、落雷死、焼死、熱病、首を刎ねられて死ぬ、戦死、 弓に射られて死ぬ、馬に踏まれて死ぬ、 突然死、圧迫死などそれ ぞれに供養する護符が存在し他には墓の風水の問題、先祖の不成仏による災禍、邪靈や妖の障り、三世代続く災禍などを解消する護符が存在します。

【北斗七星君】
正統道蔵によれば『紫微垣 天皇大帝(萬靈教主)、紫微帝君(萬星教主)、太陰帝君(月の神格化)、 太陽帝君(太陽の神格化)、 木徳星君、火徳星君、金徳星君、水徳星君、土徳星君(東西南北 中の五 方位と五行を象徴する五神)、羅睺星、計都星、紫氣星君、 月孛星君(太陰、太陽、五徳星君、羅睺、計都、紫氣、月孛合わ せて十一曜とする)、東方七宿、南方七宿、西方七宿、西方七宿、 北 方七宿(二十八宿星君)…中略』とあるように北斗七星君は神仙界の最高峰の一つである紫微垣に住まうされております。

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北斗七星君 北斗七星圖


【北極星と妙見信仰】
北極星とは天の不動の星で紫微垣、星漢天宮に住まい玉皇大帝 を補佐する四御の第一神で萬星 を統御する紫微大帝の護法神である北極四聖(天蓬、天猷、翊聖、佑聖又は真武)の北極真武玄天 上帝は北極星の神格化だといわれております。 日本では亀(水)と蛇(火)が合わさった神獣玄武を踏み七星劍を持った姿で仏教に伝わり妙見菩薩(妙 見尊星王、北辰)という神號で信仰されていました。
《太上説玄天大聖真武本傳神咒妙經》によれば、玄天上帝は太上老君(道徳天尊)の82番目の転 生した姿だといわれていて 《北遊記》では、先代の第十七第玉皇大帝(玄穹高上帝)より「地上で 悪さをする三十六の妖魔を退治せよ」という命を受けて見事、36匹の妖魔を退治して自らの家来にしました。三十六の家来(水火龜蛇二將、 趙公明(趙玄壇)、關羽(關聖帝君)、雷開、苟畢、廣澤、 張健、謝仕 榮、華光、朱彥夫、黨歸籍、康席、龐喬、高原、雨田、雷瓊、石成、王鐵、高銅、李 伏龍、副應、殷高、鐵頭、朱佩娘、韋元帥、朱孛娘、王忠、楊彪、劉俊、商偉、師曠、任無別、 寧世 夸、鄧成、辛江、張安)には三十六官將という神號が与えられて神に封 ぜられて玄天上帝の 護法神として道教寺院などで崇拝されます。 《太上三洞神咒》の5巻の”紫微勅遣咒”には『紫微大帝の四大護法神として天蓬、天猷、翊聖、 佑聖(玄天上帝)』として名を連ねています。 玄天上帝は別名、北極鎮天真武玄天上帝玉虛師相金闕化身蕩魔永鎮終劫濟苦天尊、北極玄天上 帝、真武大帝、玄天上帝、真武神、元武神、玄武大帝、 開天大帝、北極大帝、北極佑聖真君、北 極蕩魔天尊、金闕化身、玉虚師相などさまざまな神號で呼ばれており、 特に伏魔(一切の魔を一 撃のもとに叩き伏せる)、鎮宅光明(家の災禍を鎮める)、咒詛返しなどに絶大な靈験があると されており日本に伝わり妙見菩薩という名に変わり北極星、北辰信仰の 神格化である「太上秘寶 七十ニ鎮宅靈符」の家内安全などの72枚の靈符を1枚にまとめたものが伝わりました。寺では妙 見菩薩、神社では 天之御中主神に習合している場合が多いです。 太上秘寶七十ニ鎮宅靈符に関しては中國の漢の時代に家も貧しくて災難が続くある一家にある 時、旅をする二人が訪れたが、劉進平の家はあ まりに困窮していたため糜粥(薄いかゆ)しか振舞 えなませんでした。 すると翌日二人は「此の場所の風水が大凶だが、この72枚の靈符に朝夕祈願すれば、10年で大 富貴となり、20年で子孫まで大いに栄えて、30 年で天子が訪れるだろう」と告げると門を出て 少しのところで霞のようにいなくなってしまった。 それからある時、時の皇帝である孝文帝が地方を視察で旅をしている時に劉進平の家をみつけ て明らかに風水的に大凶相にも関わらず店が大繁盛をしているので「この家の風水は大凶相のは ずだ が、何か法術でも施しているのか?」と尋ねると劉は「ある時、二人の 旅人に糜粥を馳走し たらその礼に翌日72枚の靈符を授かり『この72 枚の靈符に朝夕祈願すれば、10年で大富貴とな り、20年で子孫まで大いに栄えて、30年で天子(皇帝)が訪れるだろう』といわれたんですが、確 かに10年で大富貴となり、20年で子孫まで繁栄しました、ところがま だ天子は現れないので す。」といわれて孝文帝はその二人は神仙に違い ない!!と確信して太上老君鎮宅七十ニ道符法を世 に広めたといわれております。

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台湾南部の左營にある北極玄天上帝元帝廟と妙見菩薩

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太上秘宝七十ニ鎮宅靈符


【庚申信仰】

庚申とは60日ごとにめぐる「庚申」の日に、あらゆる願望を 祈願する行事です。 中國では方 位や時刻を十干十二支に当てはめたり組み合わせて 使用しますが、『淮南子』天文訓によると、 甲、乙、寅、卯は陰 陽五行思想では木で、丙、丁、巳、午は火で、戊、己は土で、庚、 辛、申、 酉は金で、壬、癸、亥、子は水となります。 たとえば干支の組み合わせの1番目の「甲子」は陰 陽五行では 甲は十干の陽の木、子は陽の水で、相生(水生木)となります。 王朝交代の革命の年で ある辛酉年の4年後で天意が革(あらた) まり、徳を備えた人物に天命が下される「革命」の年とし て政治 上の変革の起こる年とされて(甲子革令)、その厄災を避けるために日本では平安時代以降、 604年の甲子の年に推古天皇に聖徳 太子が憲法十七条を制定し、664年の甲子の年の天智天皇の 時の冠位二十六階、724年の聖武天皇即位と改元もされました。1024 年の甲子改元以降で明治より前に、甲子年改元が行われなかっ たのは1564年(永禄7年) のみです。問題の「庚申」ですが、これは陰陽五行では庚は十干の陽の金、申は陽の金となりま すが 「金」は刑を意味し、天帝の裁きを待つ時間であるといわれます。 裁きが下されるのが「辛酉」なので、それで「辛酉」の前日の「庚申」には天帝が三尸の報告 を受けて裁くための資料とすると考えられました。 道教の経典『抱朴子』にこのような記述があります。 「三尸の虫は形がなく靈魂と鬼神の類と同じで、この虫は主を早く死なせたいと思っている。 人が死ぬとその虫は思いのままに死者に供え たものを食べられるからである。ゆえに祀り事を求めている。
そこで庚申の日になると人が眠っている最中、身体から抜け出して天に昇り、その 人の罪状を人の生死を司る天帝に、その人の犯した罪を報告する。罪の大きいものに対しては、 紀を奪う。紀と は三百日で、罪の小さいものに対しては算を奪う。算とは三日である。天帝はそ の人の罪の軽重に応じて寿命を奪う。人間は長生 きを願うためそこで”庚申の日の夜”は寝ないで 三匹の虫が天に昇らないように寝ずに監視しなければならない」とあり日本における庚申信仰に影響を与えたと思わます。三尸とは三丹田に危害を加える三匹の虫のことで、まず上丹田には上尸彭琚と呼ばれる道士のような姿の虫が住んでおり、聾唖、 頭痛、めまい、鼻づまり、難聴、白髪、禿頭などをの災いをもたらそうと寿命を縮めようと頭部で身構えており、次に中丹田には 中尸彭瓆という獣の姿の虫 が住んでおり、心臓、肺臓、吐き氣、 多痰、耳鳴り、寝汗、健忘症、精神障害などの災いをもたらそうと心臓辺りで身構えており、最後に下丹田に住むのは下尸彭𤩝と呼ばれる人の足に牛の頭 の姿の虫が住んでおり、骨、皮膚、胃腸障害、頻尿、氣力低下、精力減退、脚力低下、神経衰弱 などの災いをもたらそうと身構えている。このように三尸は寿命を減らす元凶であり、これらが体内にいたままでは精・神・氣 という力 がうまく発揮できないため、道教法師(道士)は「辟穀」 という米・麦・黍・粟・豆などの五穀を 絶ち人が本来持ち普段は 眠っている生命力の根源である精妙な氣によって維持ができる状 態に心 身を鍛錬します。日本では飛鳥時代の末に疫病が流行って、 天王寺の豪範僧都が疫病に苦しむ人々 を救うため一心に祈ったところ、天帝(帝釈天)の遣いの童子(青面金剛)が現れて無病息 災の靈験 をあらわしたといいます。それ以来、庚申の日に本尊に 祈れば病氣平癒、縁結び、さまざまな現世利益を成就すると崇宗 されています。

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右から上尸彭琚・中尸彭瓆・下尸彭𤩝

・精とは…あらゆる生物や自然に潜む力や生命力の根源的な元氣、 繁殖のもとになる精力、精氣、 靈魂、スピリット、心体の備わる 力、混じり氣のないものなどの意味があります。 神とは…天地萬物を掌握して癒し続ける宗教的な神の存在、森羅 万象に宿るもの、崇拝・畏怖さ れるもの、されて人智をはるかに 凌駕した異次元の存在、超越した力を持つ者、生物の体内に宿 る 精神、絶対的などの意味があります。

・氣とは…宇宙萬物の生命の原動力となる力、生まれ持って備わる 氣質、属性、性質、精神の傾向、 生命・意識・心の状態と動き、 何かをしようとする心の動き、天、澤、火、雷、風、水、山、地 などに生じる自然現象や24節氣などの意味があります。 精・神・氣は道教では最も重要視する概 念ですが、人はこれらの 要素で成り立っていて精は燃料のようなもので、精を蒸氣機関車 の燃料 である石炭にたとえると氣は石炭を燃やした発生した蒸氣 に相当し、神はこのエネルギーによっ て機関車を動かす原動力を 表します。

精(石炭)→氣(蒸氣)→神(原動力)

【鍾馗】
鍾馗とは魔を伏せる神でもとは唐の第9代皇帝の時代(618年頃)に時の皇帝、玄宗が瘧(マラリア) にかかり宮廷内で小鬼が現れて悪さをするがどこからともなく大鬼が現れて小鬼を捕らえては食 べてしまうため玄宗が大鬼に正体を尋ねると「我は終南県出身の鍾馗という者で官吏になるため に科挙を受けたが落第し、それを恥じて宮中の柱で頭を打ちつけて自決したのだ。しかし高祖皇 帝は自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるために現れた」という。 夢から覚めた玄宗は瘧が治っていることに気づき著名な画家である呉道玄に命じて鍾馗を描かせた。すると、その絵は玄宗が夢で見た鍾馗のそのままの姿だったという。 中國の江南地方の道教の信仰では魔を伏せる武神として三界伏魔大帝關聖帝君(英傑關羽將軍)、 蕩魔天尊真武帝君(玄天上帝)、驅魔天尊鍾馗帝君(鍾馗)の三神が三大伏魔帝君として魔除け、鎮宅 の靈験があると信じられており厚く信仰されていて、除夜と5月5日の端午に鍾馗の絵を貼る風習 があります。正式には「翊聖雷霆驅魔辟邪鎮宅賜福帝君」と呼び別名、「鎮宅真君」「驅魔真君」「驅魔帝 君」などの神號が与えられて、病氣治癒、試験合格、悪靈退散などに靈験があるとされ、日本では、五月人形、掛け軸、屏風、旗、佛像などで祀られており 京都地方の民家では大屋根や小屋根 の軒先に瓦でできた鍾馗の像を載せて魔除けの武神として祀られています。

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魔除けの鍾馗符と屋根瓦に使われる鍾馗


【陰陽道】

陰陽道とは古代日本の律令制における中務省の陰陽寮に属した官職の一つで陰陽五行思想 に基づき占筮、地相などで吉凶を占う官人。 平安時代に実在し鎌倉時代から明治時代はじめまで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖であ る安倍晴明が陰陽師として名声を極めたといわれている。 陰陽道が道教から影響を受けたと思われるものに泰山府君(東嶽大帝)を祀る泰山府君祭、六 壬式盤、太上秘法鎮宅七十二靈符、禹歩、九字 などがあります。 安倍晴明を祀る神社は京都市上京区の晴明神社、大阪市阿倍野 区の安倍晴明神社、名古屋市千 種区の名古屋晴明神社、奈良県桜井市の安倍文殊院などがありますが、歴史的には陰陽師は途絶 えたとされております。


【修験道】

修験道とは山伏とも呼び、山に籠って荒行をする行者のことで 日本古来の山岳信仰が仏教に取 り入れられた日本独自の宗教です。 山岳信仰ですので紀州の熊野、葛城、大和の金峯山が聖地となります。修験道の主尊は蔵王権現ですが、修験道独自の神として愛宕権現、若一王子、九十九王子、一言主、天狗の他に仏教が 盛ん であった時代に発生した神仏習合思想の一つである本地垂迹説に 伴い平安時代から日本各地の神社の本地仏が確定し、垂迹神と 本地仏に対応するように國常立尊ー薬師如来、須佐之男命ー 阿弥陀如来、火之伽具土神ー千手觀音、市杵島姫命ー弁財天などが構成されるようになりまし た。修験道の行者を守護する神仏として 不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜 叉明王、 孔雀明王、愛染明王、弁財天、摩利支天、荼枳尼天、歓喜天など が護法し、修験道に習 合した神として、天照大神、須佐之男命、 大山祇神、牛頭天王、毘沙門天、三宝荒神、妙見菩薩、 龍神なども習合し崇拝されていました。修験道は飛鳥時代から奈良時代に 実在した呪術者の役小角(役行者)が開祖とされておりますが 道教的な法術や修法、神道的な鎮魂帰神、密教的な加持祈祷術が 含まれているといわれておりま す。

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風水鑑定 鮑義忠と神仙界